和仕立てエンディングノート〜夢魅るノート〜を販売しております。書き方の相談も承っております。お気軽にお問い合わせください。

エンディングノート“夢魅るノート”への想い

介護士の現場から 小林惠子

人の死は不吉。と心のどこかに思っていらっしゃる方、多いですよね。

人の死について、死を前向きにみている方、時間軸で捉えている方、宗教は嫌いだけど骨に愛着のある方、肉体に執着がある方など
表現もいろいろありますが、現代、人それぞれの捉え方があり また考え方はさまざまな様です。

それが今、表面化され多様な葬送・葬儀文化を形成しつつあると私は感じております。

でも、変わらないのは人の心で、
いざ、自分に死をつきつけられると1分でも1秒でも長く生きて愛する人と共に過ごしたい。
と思うのが健全な気持ちではないでしょうか。

私は宗教観や死生観はその人それぞれのもので、これが正しいとか、こうあるべきという考えは持っておりません。
その人それぞれの思いや考え方を尊重し大事にしたい、と思っております。





この度、私が“夢魅るノート”を作成致しましたきっかけは、私が以前勤務していた病院での思いが原点です。

病棟は寝たきり痴呆病棟で、食事介助・排泄介助・入浴介助などの援助を致します。
患者さんの自立支援のためのADL(日常生活動作)やQOL(生活の質)の向上を目指します。
そして私は寝たきりの固まったお体の清拭(口腔や身体をきれいにする)をさせていただきながら、ずっと、思っていたことがあります。

「この患者さんは拘縮してしまい、もう 指一本 自分で動かせないけれど、元気な時に(痴呆が発症する前に、脳の機能が低下する前に)
今のことや これからのことは話しあったのかな。思いは伝えているのかな。
もう、ご家族の方は何カ月もいらっしゃらないけれど・・」

目の前の事実は、この患者さんも精一杯 生きている。ということ。

そして、
予定は未定の 急変の時がきます(容態が急に変わる)。

最後のお清拭です。エンジェルセットで身づくろい。

霊安室ではご遺族の様々な思い。
狼狽・困惑・悲嘆・不安・安心・感謝・無心・無知・無関心・不信・無力・・


「よく頑張りました」と労いと称賛を。





私は病院を退職しまして、現在はご葬儀を生業とした葬儀業界でお世話になっております。

ここでもお棺の前で お別れが毎日、行われています。
ごめんね、としきりにあやまる方や言葉のない方、泣き崩れる方・・

私はこれらの事実と向き合いながら思います。

先に逝く人が
大切な人に思いを残していたら、
愛している人に伝えることを伝えていたら、
残された人たちの この場は どうなっているだろうか。

もう少し、心が穏やかになれたかもしれない。
もう少し、見通しがもてたのかもしれない。

“残された人の悲しみを少しでも軽くすることが出来るようになるには”
と、私は死の現場を 時間の経過と喪失感の経過で 考えるようになりました。





そのためには自分の伝えたい想いを自分の意思や意志があるうちに残すことが出来ていれば、後に生きる人たちの支えになれる。

そして その 言葉の力 は自分の大事な人が、
自分をうまく思いだして、これからも自分と共に歩み、宝のようにその言葉を抱きかかえて生きていける 生きる力 になってくれたらどんなに素晴らしいことか。




そんな思いから
  夢魅る力  和仕立てエンディングノート“夢魅るノート”は生まれました。


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看護師の介護現場から 田中真沙美

私は約10年間ほど老人病院に勤めてきて、現在は5歳と2歳の子育てをしています。

今、子育てをしていることもあり 介護の現場を思い返すと、本当に人間は
大人→子供→赤ちゃん のステップを踏んで生まれたときに戻るようにして死んでいくものなのだなぁ。ということを感じられずにはいられません。

「生涯現役」
「元気にポックリあの世に行きたいなぁ」
「周囲の人に迷惑をかけることなく死を穏やかに迎えたい」
などの願望は聞かれますが、とにかく多かれ少なかれ周囲に迷惑をかけずに・・というのは悲しいかなネガイだけであって、なかなか実現しずらいことと感じます。

赤ちゃんが大人に成長していくことと、大人が赤ちゃんに戻っていく過程には大きな違いがあります。
どちらも愛すべき家族ということには変わりないのに、です。
育児と介護には 大きな違いがあります。
精神的にも体力的にも人のお世話は大変ですが、介護とそれは比較にならないと思います。

私の勤めていた病院は7階建てです。
2階から病棟になり 2〜3階では比較的痴呆症状が軽い徘徊患者が入院され、上階へいくほど内科的処置等が多く必要とされる患者、そして寝たきり患者になります。
私は殆どの病棟を看て参りました。

2〜3階に入院している比較的痴呆症状が軽い患者といっても家庭での介護が非常に困難であるか、身寄りなく自立生活に支障がある方々が入院をされているので、症状が軽いといえる患者は極めて少ないです。
例えば この徘徊病棟では廊下の施錠の確認が不可欠です。なぜならば、リハビリや入浴の時は本人の順番に関係なくどんどん病棟から出て行って止まらないですし、順番を待てたとしても喧嘩があったりするからです。
また、アルツハイマー型痴呆症の特徴に性格の変貌があります。穏やかな人、から怒りに満ち暴力的にな人、になることも稀ではありません。
体力のある方が暴れれば職員も傷をつくります。成人男性2人でも抑えられないこともあります。それは子供がすねる、嫌がるに似ています。

このような独特の雰囲気に面会されるご家族も足が遠のいてしまうのでしょうか。

また睡眠障害をもつ患者さんも多く、2〜3日起き続け、1日は寝続けるなど昼夜逆転もあります。

排泄の介助については、ADL・QOLの向上のためにおむつに頼らない援助をします。しかし、トイレとは異なる場(廊下や便器ではないところ)での行為や失禁は、毎日繰り返されます。
まだまだ書き足らないことはありますが、痴呆だけの疾患で内科的には殆ど問題なく過ごされた患者さんも、更なる老化や骨粗鬆症、転倒による骨折などで寝たきりなどに移行されます。

寝たきりの患者さんは、おむつ交換や体位変換が重要です。寝たきり状態になった患者さんの体はどんどん拘縮が進み、寝返りも打てなくなります。そして体位交換による床づれのケアも頻繁に行われるようになります。

徐々に老化は進み、食事も介助があっても噛めなく飲めなくなっていきます。

でも 人は食べ物を飲み込めなくなっても生きていけます。
鼻くうからチューブを胃へ、または胃に直接穴をあけてチューブで栄養をとります。

痴呆症が発症した場合、約10年で自己認識はなくなるといわれています。
意思の伝達手段は衰え、機能しなくなります。

病院での長期治療は、家族の足も遠のいたりします。
毎日、週2日、週末1日、月1度、3か月に1回、年に1度、数々の事情で、それをも続けることが出来なくなったりします。

そして、急変は突然やってきます。
ご家族が間に合わないことは少なくありません。

人はよく、死をイメージしづらい、と言います。

でも 元気なうちに自分の健全な死をイメージすることはとても大切なことだと思います。

その イメージから自分が自分と向き合い、そして自分と家族、自分とお世話になった人や自分にとって大事な人を通じてはじめて
「生涯現役」
「元気にポックリあの世へ行きたいなぁ」
「周囲の人に迷惑をかけることなく死を穏やかに迎えたい」
という思いが叶うような気がしてなりません。

私はすべての患者さんから沢山のことを学ばせて頂きました。

私もいつかは 死を迎えます。
だから、今を精いっぱい生きて、愛する人への意思を書き貯めています。
男女・年齢問わず、死はきます。

死からの逆算は、はじめてしまえば簡単です。

だって、自分の死 なのですから。



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